2 目を開けると知らない天井が見えた。 ――あれ? そっか、ここアレだ、ラブホ。 今日はどんな奴と一緒に来たんだっけ? いつもの店でグダッてたら、ハーレー乗ってそうなゴツい男が声かけてきて、なんかいろいろ飲まされて、それから……、 あ!悪酔いしてゲロッたんだっけ、ハハハ。 んで、ボコられそうになって……、 う〜ん、その後の記憶がない。 あのハーレー野郎ヤバめだったし、酒にクスリでも盛られたんかな。 もうヤリまくられた後だったりして。つーか俺、生きてんの? 手とか足とか、ちゃんと付いてる……? 意識を手繰り寄せていると、奥からドアの開く音が聞こえた。 重たい頭を動かして、薄目を開く。 そこにはバスローブ姿の男が立っていた。 背の高いその男は、濡れた頭にバスタオルをひっかけたまま、手にしたTシャツをクンクンと嗅いでいる。 「うっ……ダメだ、くっせぇ!お気に入りだったのに」 あぁ、なるほど。そのTシャツ、俺の胃液シャワーを浴びちゃったのね。 ソリャどーもごしゅーしょーさま。俺は寝転がったまま、鼻で笑ってやった。 アンタも悪いんだぜ?だってさぁ未成年に、 「未成年のクセにガバガバ飲みやがって。言われるまま呷(あお)ってたら、いつか死ぬぞ?」 何言ってんだよ、だからそっちが。 言い返そうとノロノロ身体を起こした俺は、奴の顔を見て一瞬止まる。 「―――あんた、誰?」 「誰ってお前」 バスローブ男は少しガッカリした様子で、タオルで髪をガシガシ拭きながらベッドに腰を下ろした。 「せっかく助けてやったのに」 「助けた?アンタが、俺を……あっ!」 「思い出した?路地裏のストリートファイッ!」 バスローブ男は右拳を前に突き出しながらニヤニヤと笑っている。 そうだ!ドジャースのキャップ男。 あの後、店裏の駐車場でハーレー野郎とガチでタイマン張りやがったんだ。 そりゃもう、おっそろしく強かった。 ガタイはハーレー野郎のがデカかったけど、終始圧倒してたのはコイツの方だった。 ケンカ慣れはしてない。ただ、速さとバネが全然上。相手が向かってくるのに慣れてるっつーか、反射神経がエグい。 きっと何かやってる奴だ。それも、まんま格闘技じゃなくて、サッカーやアメフトみたいなコンタクトプレーの激しい競技を。 俺は汚れたアンダーシャツを脱ぎ、ベッド脇にかけてあったバスローブを羽織った。 「アンタ強いんだな。スポーツか何かやってんの?」 するとヤツは俺の顔から視線を逸らし、そのまま天井を見上げた。 「あぁ……ちょっとやってるけど、内緒。忘れに来てるんで」 「『忘れ』に?」 「ここは知ってる奴いないからさ。帽子で変装すれば全然バレねーんだよ」 何それ?ヘンなヤツ。 「バレるって、有名人とか?」 「いやいや……でも界隈ではちょっとだけ、だから念のため」 「忘れたいくらいイヤなの?」 「イヤ、ではないなぁ」 「訳わかんね。忘れたいならやめれば」 「う〜ん……」 ヤツは困ったように笑いながら、天井の壁紙の安っぽい模様を見つめている。 「うまく言えないけど……もう、やめたら俺じゃなくなるっつーか。 だけど、ずっと向かい合ってると、たまにどっかへ逃げたくなる」 ヤツはそう言うと、俺の顔をチラリと見た。 「……ゴメン、関係ないよな。お前に」 ムッとした。 コイツ、なんかムカつくな。 よくわかんないけど、コイツは何かしらの?その世界では(おそらく)有名な選手で? たまーに辛い事もあるけど?でも頑張ってるんだよーそんな俺カッケーみたいな? ふざけんな。 それ、めっちゃ幸せなヤツじゃんか。 「あーっそ!エリートスポーツマンも大変っすね!!」 俺は枕を掴むと、ヤツの傍にボン!と叩きつけた。 「で?俺を連れ込んで今からどーすんの!?イイカッコしながらお前もあのハーレー野郎と一緒じゃん!」 ヤツのアーモンド形の瞳が真ん丸になってたけど、俺はかまわず怒鳴り散らした。 「なんだよ?あぁ?どうするって聞いてんだ!お前が俺をヤるの?それとも俺がお前をヤるの!?」 すると、ヤツのポカンと開いた口が、さらに大きく開いて「ハァ?」の形になった。 「なんだって!?お前、勇ましすぎるだろ!そんなお姫様みたいな顔で俺をヤるってか!?」 アッハッハ!すっげぇー!! そう叫ぶとヤツはベッドに仰向けになり、腹を抱えてゲラゲラ笑った。 あぁーやっぱムカつくわーコイツ。 「ははは……いやぁ、悪いけど遠慮しとく。ココに来たのだって仕方なくだし」 そう言うとヤツは寝ころんだまま身体を捻り、ベッド脇の小さなフリーザーをヒョイと開けた。 なんか手慣れてんな、アヤシイ。 「お前さぁ、俺の背中で何度吐いたか覚えてねーの?あんなニオイさせたまま地元に帰れねーでしょ。ホレ」 中からジュースを2本出すと、ヤツはその1本を俺に放った。 「なぁ、ホントはいくつなんだよ。18じゃねぇだろ。高2?1か」 教えたらどんな顔するだろ。 どうする、ビビらすか。 ――やめた。こういう輩は急にモラルを振りかざすからな。 俺はジュースのプルタブに指をひっかける。 「17だよ。アンタは大学生?ハタチ過ぎてるだろ」 すると、ヤツはチッと舌打ちした。 「まだコーコーセーだよ!なんでいつも老けて見られるんだ、こんなにいい男なのに……なぁ?」 グイッと近づいてくるヤツに若干ヒキつつ、俺は改めてその顔をまじまじと見つめた。 彫りの深い整った顔立ちは高校生にしちゃ大人っぽく見える。ガタイもいいしな。 ――だけど、 俺は手にしたジュースを一口含んだ。 今、目の前にいるバスローブ姿の男と、昨夜、店で出会ったドジャースキャップの男。 その姿を交互に思い浮かべてみる。 ……なんだろ、違和感。 パッと見、リア充高校生。だけど裏にもうひとつ。違う顔を持ってる、ような。 確かに『普通』の高校生ではない。見た目もイケてて、人当たりも良くて、有名人で。 ただ、そういう『特別』じゃなく……そう、『異質』。近くにいると背中がザワザワするような。 年齢を上に感じさせる理由はおそらくそこだ。 地元ではスポーツに打ち込む好青年を演じ、当たり障り無く振舞ってる。 不満はないけど、たまにウンザリ。自分の恵まれた環境に感謝も無けりゃ、やめる勇気もない。 で、ちょっと息抜きがてら、こんな場所に逃げてきてるとしたら。 そこまで考えた後、俺は残ったジュースをグイと飲み干した。 だとしたら、コイツは明らかにクソな奴だよな?ええかっこしぃの、根性無しの、甘えん坊の、嘘つき。 そんなヤツがどうして俺なんか助けたんだ。 「どうしてお前を助けたかって? なんでかなぁ、よくわかんねーわ。 なんとなくだよ、なんとなく」 何それ。お前みたいな奴が言いそうな、正義感とか人道的にとか、そういうんじゃねぇの? 「ただ、なんとなくあの店に行って、なんとなくお前を見かけて……そうだ、最初は女の子だと思ってさ」 気ィ悪くすんなよ、とヤツは笑った。 「ガンガン飲まされてるし、きっと食われちゃうなぁ。どうする?助ける?相手ゴツいしやめとく?って」 飲み干したジュースの缶をサイドテーブルにコン、と置くと、ヤツは話し続けた。 「ケガはシャレんなんねぇし、やっぱやめとくか……と思ってたらお前がゲロ吐いて、引きずられて、その時」 そう言うとヤツは身を起こし、俺の顔を見つめながら、覚えてないか?と聞いてきた。 「笑ったんだよ、お前。すごく綺麗な顔で。 俺、ビックリしてさ」 ―――笑った?俺が? 全然覚えてない。あの時、何考えてたっけ。 「『おもしれーなぁ、あの子』って。絶体絶命のピンチなのに、あんなに綺麗に笑ってる。 たいした奴か、イカれた奴だ。ちょっと話してみたいかも、って」 でもよく見たら男で、そこは計算外だったなぁ。 ヤツは無邪気に笑っている。子どもみたい。 確かに俺はイカれてるよ。けど、コイツも相当だ。 ザワザワしていた背中がぞくりと総毛立つ。 このままじゃヤバい。でも、でも……、 「終電終わったし、もう泊まってこうぜ。俺は練習あるから朝イチで帰るよ。お前は……好きにすればいいさ」 そう言うとヤツは大きな欠伸をした。 「次にこの街に来るのは来月末あたりかァ……また会えるといいな」 それまで、あんまり無茶すんなよ。 優しい声と大きな右の手のひらが、頭にふわりと乗ってきた。 俺はなんだか恥ずかしくなり、それらをパッと振り払う。 ヤツは小さく笑うと、払われた右手をヒラヒラ振ってベッドに潜り込んだ。 「おやすみー」 ホントに変なヤツ。 また会えるといいな、だって。 いったい何者なんだろう。 いったい何処から来たんだろう。 今までどんな風に生きてきたんだろう。 マジでまた会えたり、するのかな。 ――だとしたら、ちょっと知りたい。 |