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目を開けると知らない天井が見えた。

――あれ?

そっか、ここアレだ、ラブホ。
今日はどんな奴と一緒に来たんだっけ?
いつもの店でグダッてたら、ハーレー乗ってそうなゴツい男が声かけてきて、なんかいろいろ飲まされて、それから……、

あ!悪酔いしてゲロッたんだっけ、ハハハ。
んで、ボコられそうになって……、

う〜ん、その後の記憶がない。

あのハーレー野郎ヤバめだったし、酒にクスリでも盛られたんかな。
もうヤリまくられた後だったりして。つーか俺、生きてんの?
手とか足とか、ちゃんと付いてる……?


意識を手繰り寄せていると、奥からドアの開く音が聞こえた。
重たい頭を動かして、薄目を開く。

そこにはバスローブ姿の男が立っていた。
背の高いその男は、濡れた頭にバスタオルをひっかけたまま、手にしたTシャツをクンクンと嗅いでいる。

「うっ……ダメだ、くっせぇ!お気に入りだったのに」

あぁ、なるほど。そのTシャツ、俺の胃液シャワーを浴びちゃったのね。
ソリャどーもごしゅーしょーさま。俺は寝転がったまま、鼻で笑ってやった。
アンタも悪いんだぜ?だってさぁ未成年に、

「未成年のクセにガバガバ飲みやがって。言われるまま呷(あお)ってたら、いつか死ぬぞ?」

何言ってんだよ、だからそっちが。
言い返そうとノロノロ身体を起こした俺は、奴の顔を見て一瞬止まる。

「―――あんた、誰?」
「誰ってお前」

バスローブ男は少しガッカリした様子で、タオルで髪をガシガシ拭きながらベッドに腰を下ろした。

「せっかく助けてやったのに」
「助けた?アンタが、俺を……あっ!」
「思い出した?路地裏のストリートファイッ!」

バスローブ男は右拳を前に突き出しながらニヤニヤと笑っている。

そうだ!ドジャースのキャップ男。
あの後、店裏の駐車場でハーレー野郎とガチでタイマン張りやがったんだ。


そりゃもう、おっそろしく強かった。
ガタイはハーレー野郎のがデカかったけど、終始圧倒してたのはコイツの方だった。
ケンカ慣れはしてない。ただ、速さとバネが全然上。相手が向かってくるのに慣れてるっつーか、反射神経がエグい。
きっと何かやってる奴だ。それも、まんま格闘技じゃなくて、サッカーやアメフトみたいなコンタクトプレーの激しい競技を。


俺は汚れたアンダーシャツを脱ぎ、ベッド脇にかけてあったバスローブを羽織った。

「アンタ強いんだな。スポーツか何かやってんの?」

するとヤツは俺の顔から視線を逸らし、そのまま天井を見上げた。

「あぁ……ちょっとやってるけど、内緒。忘れに来てるんで」
「『忘れ』に?」
「ここは知ってる奴いないからさ。帽子で変装すれば全然バレねーんだよ」

何それ?ヘンなヤツ。

「バレるって、有名人とか?」
「いやいや……でも界隈ではちょっとだけ、だから念のため」
「忘れたいくらいイヤなの?」
「イヤ、ではないなぁ」
「訳わかんね。忘れたいならやめれば」
「う〜ん……」

ヤツは困ったように笑いながら、天井の壁紙の安っぽい模様を見つめている。

「うまく言えないけど……もう、やめたら俺じゃなくなるっつーか。
だけど、ずっと向かい合ってると、たまにどっかへ逃げたくなる」

ヤツはそう言うと、俺の顔をチラリと見た。

「……ゴメン、関係ないよな。お前に」

ムッとした。
コイツ、なんかムカつくな。

よくわかんないけど、コイツは何かしらの?その世界では(おそらく)有名な選手で?
たまーに辛い事もあるけど?でも頑張ってるんだよーそんな俺カッケーみたいな?

ふざけんな。
それ、めっちゃ幸せなヤツじゃんか。


「あーっそ!エリートスポーツマンも大変っすね!!」

俺は枕を掴むと、ヤツの傍にボン!と叩きつけた。

「で?俺を連れ込んで今からどーすんの!?イイカッコしながらお前もあのハーレー野郎と一緒じゃん!」

ヤツのアーモンド形の瞳が真ん丸になってたけど、俺はかまわず怒鳴り散らした。

「なんだよ?あぁ?どうするって聞いてんだ!お前が俺をヤるの?それとも俺がお前をヤるの!?」

すると、ヤツのポカンと開いた口が、さらに大きく開いて「ハァ?」の形になった。

「なんだって!?お前、勇ましすぎるだろ!そんなお姫様みたいな顔で俺をヤるってか!?」

アッハッハ!すっげぇー!!
そう叫ぶとヤツはベッドに仰向けになり、腹を抱えてゲラゲラ笑った。
あぁーやっぱムカつくわーコイツ。

「ははは……いやぁ、悪いけど遠慮しとく。ココに来たのだって仕方なくだし」

そう言うとヤツは寝ころんだまま身体を捻り、ベッド脇の小さなフリーザーをヒョイと開けた。
なんか手慣れてんな、アヤシイ。

「お前さぁ、俺の背中で何度吐いたか覚えてねーの?あんなニオイさせたまま地元に帰れねーでしょ。ホレ」

中からジュースを2本出すと、ヤツはその1本を俺に放った。

「なぁ、ホントはいくつなんだよ。18じゃねぇだろ。高2?1か」

教えたらどんな顔するだろ。
どうする、ビビらすか。

――やめた。こういう輩は急にモラルを振りかざすからな。
俺はジュースのプルタブに指をひっかける。

「17だよ。アンタは大学生?ハタチ過ぎてるだろ」

すると、ヤツはチッと舌打ちした。

「まだコーコーセーだよ!なんでいつも老けて見られるんだ、こんなにいい男なのに……なぁ?」

グイッと近づいてくるヤツに若干ヒキつつ、俺は改めてその顔をまじまじと見つめた。
彫りの深い整った顔立ちは高校生にしちゃ大人っぽく見える。ガタイもいいしな。
――だけど、

俺は手にしたジュースを一口含んだ。

今、目の前にいるバスローブ姿の男と、昨夜、店で出会ったドジャースキャップの男。
その姿を交互に思い浮かべてみる。

……なんだろ、違和感。
パッと見、リア充高校生。だけど裏にもうひとつ。違う顔を持ってる、ような。

確かに『普通』の高校生ではない。見た目もイケてて、人当たりも良くて、有名人で。
ただ、そういう『特別』じゃなく……そう、『異質』。近くにいると背中がザワザワするような。
年齢を上に感じさせる理由はおそらくそこだ。

地元ではスポーツに打ち込む好青年を演じ、当たり障り無く振舞ってる。
不満はないけど、たまにウンザリ。自分の恵まれた環境に感謝も無けりゃ、やめる勇気もない。
で、ちょっと息抜きがてら、こんな場所に逃げてきてるとしたら。


そこまで考えた後、俺は残ったジュースをグイと飲み干した。

だとしたら、コイツは明らかにクソな奴だよな?ええかっこしぃの、根性無しの、甘えん坊の、嘘つき。
そんなヤツがどうして俺なんか助けたんだ。


「どうしてお前を助けたかって?
 なんでかなぁ、よくわかんねーわ。
 なんとなくだよ、なんとなく」

何それ。お前みたいな奴が言いそうな、正義感とか人道的にとか、そういうんじゃねぇの?

「ただ、なんとなくあの店に行って、なんとなくお前を見かけて……そうだ、最初は女の子だと思ってさ」

気ィ悪くすんなよ、とヤツは笑った。

「ガンガン飲まされてるし、きっと食われちゃうなぁ。どうする?助ける?相手ゴツいしやめとく?って」

飲み干したジュースの缶をサイドテーブルにコン、と置くと、ヤツは話し続けた。

「ケガはシャレんなんねぇし、やっぱやめとくか……と思ってたらお前がゲロ吐いて、引きずられて、その時」

そう言うとヤツは身を起こし、俺の顔を見つめながら、覚えてないか?と聞いてきた。

「笑ったんだよ、お前。すごく綺麗な顔で。
 俺、ビックリしてさ」

―――笑った?俺が?
全然覚えてない。あの時、何考えてたっけ。

「『おもしれーなぁ、あの子』って。絶体絶命のピンチなのに、あんなに綺麗に笑ってる。
 たいした奴か、イカれた奴だ。ちょっと話してみたいかも、って」


でもよく見たら男で、そこは計算外だったなぁ。
ヤツは無邪気に笑っている。子どもみたい。
確かに俺はイカれてるよ。けど、コイツも相当だ。

ザワザワしていた背中がぞくりと総毛立つ。
このままじゃヤバい。でも、でも……、

「終電終わったし、もう泊まってこうぜ。俺は練習あるから朝イチで帰るよ。お前は……好きにすればいいさ」

そう言うとヤツは大きな欠伸をした。

「次にこの街に来るのは来月末あたりかァ……また会えるといいな」

それまで、あんまり無茶すんなよ。
優しい声と大きな右の手のひらが、頭にふわりと乗ってきた。
俺はなんだか恥ずかしくなり、それらをパッと振り払う。

ヤツは小さく笑うと、払われた右手をヒラヒラ振ってベッドに潜り込んだ。

「おやすみー」


ホントに変なヤツ。
また会えるといいな、だって。

いったい何者なんだろう。
いったい何処から来たんだろう。
今までどんな風に生きてきたんだろう。
マジでまた会えたり、するのかな。


――だとしたら、ちょっと知りたい。